ラナはマナに救護班の仕事と食事の給仕の仕事を交代してもらえるように頼んだ。マナは驚いていたが、了承してもらえた。こんな個人的なことで、仕事を交代してもらうなんて、オイフェさんに知られたら怒られるだろうなあと思ったが、上の空でけが人の手当てをするほうがあぶないだろうと言い返せるので、罪悪感はあったが自分の作戦を強行した。
ラクチェもおなかをすかせれば、出てくると思ったので、ラナは給仕係をすることにしたのだ。ラクチェが来たら謝って、自分が大丈夫なことを伝えよう。そしてラクチェの悩みを聞いてあげよう。そう考えていた。
ラクチェがいつ来るか、いつ来るかとラナは待っていたが、ラクチェはなかなか姿を見せてはくれなかった。
食事の時間がそろそろ終わろうかという頃、スカサハが二人分と、札を持ってやってきた。
「スカサハ、それってラクチェの分?」
ラナはそう訊いたが、いや、アーサーの分だと言ったので、そのまま見送った。
最後に、デルムッドとレスターが来て、食べ物を取っていった。一応、ラクチェを見なかったか訊いたが、知らないと言われた。
ラクチェは結局現れなかった。
今日が夜番じゃなかったことにラナは感謝して、夜のうちはラクチェを探すことにした。ラクチェが食事すらとらず、どこかで泣いているかと思うとじっとしていられなかった。
食器の片づけが終わり、救護用の天幕に行き夜番のマナに簡単に指示を出してから自分の天幕に戻った。
天幕の前に人影を見つける。ラクチェかもしれないと思い、走りよる。
しかし、そこにいたのはデルムッドだった。デルムッドはラナがここに戻ってきてくれてよかったと、胸をなでおろした。
「デルムッド、何か用?」
ラナはがっくりと肩を落とすと、デルムッドに今は忙しいんだけど、と言った。
「ラクチェ、いないんだろう? おれも探すの手伝うよ」
デルムッドは優しく微笑んだ。
ラナはなんだか泣きそうになった。デルムッドはなんて優しいんだろうか。ラナがラクチェを探していることを察知して、尚且つ一緒に探してくれると申し出てくれた。
「でも、明日は出発するんでしょう? 私は大丈夫だからデルムッドは休んでちょうだい」
ラナは嬉しかったが、明日はメルゲン城を落とすために出陣する予定だ。騎馬隊の隊長であるデルムッドに迷惑をかけるわけにはいかない。
「うん……。でも、レスターはスカサハを呼びに行ったから」
気まずそうにデルムッドが言った。
「え、そんな大事になってるの?」
ラナは騒ぎすぎてごめんなさいと、デルムッドに謝った。
「ラナは何も悪くないよ」
優しくデルムッドがラナの頭を撫でる。ラナは胸が熱くなった。
「でも、もともとは私がラクチェに酷いこと言っちゃったからなの」
ラナはデルムッドに顔向けできず、俯いた。
そんなラナをさらに優しくデルムッドは撫でる。デルムッドはいつでも誰にでも優しい。それだけではなく、間違っていればきちんと怒ってくれる。血のつながりは無いが、幼い頃から一緒に育ったデルムッドをラナは兄のように慕って、甘えていた。ラクチェもそうだ。だからデルムッドには、ラクチェがいなくなった理由を話しておいたほうがいいと思いラナはデルムッドにことの一部始終を話した。
「だから私がラクチェに冷たい言い方をしちゃったせいだと思うの。ラクチェが泣いてるのに、私は自分が傷つきたくないからって、ラクチェの気持ちも考えずに……」
ラナは話の最後にそう付けて、きつく手を握りしめた。デルムッドに話したことで、自分のやったことが、自分で許せないことだと思えた。
「そんなに自分を責めることないよ。たしかにラクチェを傷つけてしまったかもしれないけれど、これくらいのことで、ラナとラクチェが絶交するなんて、おれは思わないよ」
デルムッドが、ラナのきつく握りしめた手を、そっとほどきながら言った。デルムッドは、ラクチェがラナのことを許してくれると言っているのだろうか。デルムッドがそう言うなら、本当にそうかもしれないと思えてくる。ならば一刻も早く、ラクチェを見つけなければ。泣きながら走り去ったラクチェは、今もどこかでひとりで泣いているのだろうか。そう思うとラナは居ても立っても居られなくなった。
「兄様とスカサハ、遅いわね。私、先にラクチェを探すわ」
ラナがそう言って歩き出そうとすると
「遅くなって悪い」
レスターとスカサハがやってきた。思わず、遅いわとラナは文句を言ってしまった。二人ともそれに律儀に謝る。ラナもあわてて謝り返した。手伝ってもらうのに、お礼より先に文句を言ってしまうとは。今日は余裕がなさすぎるかもしれないと、ラナは心の中で反省した。
「いくらラクチェでも、陣から出て行ったりはしていないと思う。俺とスカサハがきいた限りでは、見張りの者もラクチェが陣から出ていったのは、見ていないと言っていたし」
レスターが言う。
「うん。おれもそう思う」
デルムッドがレスターに同意する。スカサハも頷く。
「でも、私はイザークの陣を一周したけど、見つけられなかったわ。それに食事もとりにこなかったし」
ラナは異を唱える。
「陣を一周したといっても、天幕の中をひとつひとつ見てはいないだろ?」
レスターがラナに確認する。たしかに、天幕の中までは見ていない。唯一中に入れてもらったのは、女の子たちがつかっている天幕ぐらいだ。
「じゃあ、誰かの天幕の中にいるってこと?」
ラナが訊くと、レスターがその可能性が高いと答えた。これから天幕をひとつひとつ見てまわらねばならない、ということなのだろうか。それでは大騒ぎになってしまうだろう。それは避けたいとラナは思った。
「あ、でも、私が探している間に、別の場所に移動していたのかもしれないわ」
焦りながらラナは言った。
「全部の天幕を確認する暇はないから、それはしないさ」
レスターはラナが安心するようにそう言った。スカサハもそれに頷いている。ラナが不安に思っていることをすぐ見抜いてくれるとは、さすがだ。
「スカサハ、双子なんだから居場所とか、ピーンと感じ取ったりできないか? ラクチェの声が聞こえるとか、ラクチェに危険が迫っているとかさ」
レスターがへらへら笑う。重い雰囲気になっている場を和まそうとして、レスターがふざけるのはわかっているが、冗談でもラクチェに危険が迫っているとか言わないでほしいとラナは思った。先ほどのつけたばかりの評価を取り消したくなる。
「そんな力はない」
スカサハが真面目な顔をして言う。冗談に乗っているのか、それとも通じずに真剣に答えているのか、長い付き合いのラナでもスカサハの言っていることは、時々意図がわからないことがある。今はスカサハの意図より、ラクチェを探すほうが大事だ。ラナが早く探し始めようと、言おうとすると
「そうか。ラクチェの居場所がだいたい検討がついた」
ずっと黙り込んでいたデルムッドが口を開いた。
「えっ、どこ?」
ラナはやっぱりデルムッドは頼りになるなと思った。
「一番可能性が高いのが、シャナン様の天幕。次がセリス様の天幕。イザークの陣から出ていなければ、このふたつのどちらかしかない」
そうか、シャナンとセリスの食事は、直接それぞれの天幕まで運ばれる。ラクチェがどちらかの天幕に居るとしたら、ラクチェの分も運ばれたかもしれない。
「でも、何も食べずに、陣から出て行ったのかも」
ラナは浮かんでしまった嫌な考えを述べた。
「だから、イザークの陣から出ていなければなんだ」
「それじゃあ、イザークの陣から出てるとしたら?」
ラナはデルムッドに問うた。
「多分、ドズルの陣に居るんじゃないのかな」
デルムッドの言葉に三人は驚いた。あの帝国嫌いなラクチェがドズルの陣に居られるのだろうか。何か騒ぎを起こしているんじゃないだろうか。不安だ。
「まあ、それなら、解放軍の陣営から居なくなったわけじゃないしな。ドズルの陣はイザークの陣の隣だし」
レスターがそう考えるほうが自然かと、頷いた。スカサハも頷く。
「とりあえず、ドズルの陣に居るのなら、セリス様に報告がいっているはずだ。セリス様の天幕にいる可能性もなくはないから、まずはセリス様のところに行こう」
レスターがそう決めた。スカサハが頷き、先頭を歩く。そしてラナをはさむように、デルムッドとレスターが歩く。なんだか、戦場に出ているときの癖が出ているようで、ラナは複雑な気分になった。
「まー、もしシャナン様のところにいるとしたら、俺たちお邪魔虫もいいとこだよな」
レスターが軽口を叩く。ラナはレスターが自分の微妙な変化に気付いてそう言ってくれたのだと思った。
「ジャマしていいのよ。だって、ラクチェのお嫁さんになるのは、私なんだから」
自分が大丈夫だということを伝えるために、ラナは明るく言った。
「ラナのお婿さんは、おれたち三人に勝てるようじゃないとダメだもんな」
デルムッドが珍しくそんなことを言う。
「たしかにそれだと、ラクチェくらいしかいないな」
スカサハが笑っている。
ラナは優しい兄が三人もいて、自分はなんと幸運なんだろうと思った。だから早くラクチェを見つけて、ラクチェを甘やかしてあげたくなった。独り占めはもったいないからだ。
そんなことを話しているうちにセリスの天幕に着いた。衛兵がひとり立っている。スカサハがセリスに用があると告げると、入っていいと、返事があった。
「失礼します」
ラナたちは口々に挨拶をし、セリスの天幕に入った。ラナは広い天幕の中をラクチェの姿を探して見回した。ラクチェの姿はなかった。そのかわりにシャナンが居ることに気がついた。オイフェとレヴィンも居る。四人で何か話し合っていたのだろう。シャナンが気難しい顔をしている。四人の間に流れる空気はどことなく険悪だ。それに気がついているのか、レスターたちも簡単には口を開けない様子だった。シャナンがここにいて、ラクチェがいないということは、ラクチェはどこにいるのだろうか。ラナは思い切ってセリスに訊いた。
「セリス様、ラクチェのことなんですが」
「ラクチェに何かあったのか!?」
シャナンがラナのところまで、慌てて大股で歩いてくる。その後ろでオイフェが、やれやれとため息をつくのが見えた。
「ラクチェはどこなんだ?」
ラクチェ以外のティルナノグで育った子どもらが、全員揃っているのに気がついたシャナンが疑問をぶつけてくる。
「私たちもそれが分からないので、ここに来たのです」
ラナは自分の声が冷ややかなものになっていくのを感じた。
シャナンは今度はセリスに詰め寄る。するとオイフェがセリスとシャナンの間に入り
「ラクチェは今、ドズルの陣に居ます。明日の出撃には、シャナンの隊に配置換えさせます」
そう言った。
本当にドズルの陣に居るとは。ラナは予想していたが、驚きを隠せなかった。
「そうか。それならいいんだ」
シャナンがオイフェの言葉に安心したように胸をなでおろした。その瞬間
「全然よくないです。ラクチェはなぜ、ドズルの陣にいるのですか? どうしてそれをラナにすぐ教えなかったんですか? ラナがどれだけ心配していたと思っているんですか?」
デルムッドが淡々と、しかし怒りが滲み出ている声で、セリスたちに意見した。
「デルムッド」
スカサハが諫めるようにデルムッドの名を呼ぶ。
「私のことはいいのよ、デルムッド」
ラナはデルムッドが自分のことで怒っているなら、それを静めたいと思いデルムッドの腕を握った。
「とりあえず、セリス様の話を聞きましょう。セリス様、先ほどのデルムッドの質問に答えていただけますか?」
レスターが丁寧な口調で言う。オイフェやシャナンの前では、レスターはこんな風な口を利く。
レスターの提案を受け、皆がセリスに注目する。セリスは口元に笑みをたたえたまま、話し始めた。
「もしかして、みんなでラクチェのことを探していたの? 悪いね。何かと立て込んでいてね」
そう言ってセリスはちらりとシャナンを見る。ラナもつられてシャナンを見た。シャナンはセリスの視線を受け、腕組みして決まりが悪そうに顔をそむけた。シャナンが原因で、セリスの手がふさがってしまっていたのだろう。
「ラクチェが今日はドズルの陣に留まるっていう報告は、夕食の前にきてたんだけどね。ラナに伝えられなかったのは、私の手違いだよ。ごめんね、ラナ」
セリスがラナを見て、申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえ……私は大丈夫ですから」
ラナはセリスに頭を上げてくれるように頼んだ。セリスはありがとうと言うと、話を続けた。
「それと、どうしてラクチェがドズルの陣に行ったのかは、ヨハンにどうしても相談したいことがあったからだそうだよ。相談内容は、ラクチェの名誉にかかわることだから話せないって言われちゃったよ」
セリスの話を聞いたラナは、ラクチェの相談事はおそらく、自分とのことだろうと思った。それと同時に、ラクチェがひとりで泣いているわけではないことに、安心した。
「他にききたいことはある?」
セリスはデルムッドの質問にひととおり答えると、そう言った。
「いえ。すみませんでした」
デルムッドがセリスに頭を下げた。セリスは気にしてないよと微笑む。
「あの、今からラクチェに会いに行ったらダメでしょうか?」
ラナはセリスだけでなく、皆を見ながら言った。
「駄目だよ」
セリスが一蹴する。
「そうだよ。ラナはずっとラクチェを探してて、休んでいないんだから」
デルムッドも反対する。
「今、ラナに倒れられると、色々困ってしまうよ。私たちにはラナが必要なんだから」
セリスが厳しい口調で言う。ラナはセリスの言葉に、胸が高鳴ってしまう。そんな場合じゃないと思いつつも、好きな人に必要だと言われるのは、嬉しいことだった。ラナはそんな内心が気付かれないよう、うつむいた。
「明日の朝、一番に行けばいいだろう?」
レスターがラナの肩を抱いて言った。ラナは自分が俯いたのが、落胆によるものだと思われてしまったようだったので、慌ててわかりましたと返事した。
「それでは、お前たちは、もう戻って休むように」
オイフェがパンパンと手を叩く。その音で背筋がしゃきっと伸びる。ラナたちはセリスに声をかけてからすばやく天幕を出た。三つ子の魂百までとはよくいったものだ。オイフェの手を叩く音を聞くと、早くしっかりと行動しなくてはいけない気分になる。それはレスターたちも同じようで、機敏な動きでラナをラナの天幕まで送ってくれた。
「今日はありがとう。それから心配かけてごめんなさい」
ラナは天幕の前で三人に言った。
「いや、何も言わずいなくなったラクチェが悪い」
スカサハが厳しい声色で言った。そういえば、レスターとスカサハには、ラクチェがいなくなったのが、ラナの冷たい態度によるものだというのを言っていない。
「あのね、スカサハ、ラクチェがいなくなったのは……」
「それは、おれが寝る前に話しておくよ」
ラナがスカサハの誤解を解こうとすると、デルムッドが話しを遮ってきた。
「でも」
ラナが躊躇していると
「お前は早く休まないといけないんだろう?」
レスターがラナのおでこを軽く小突いた。
「それじゃあ、お言葉に甘えます」
ラナは礼を言って、レスターたちを見送った。
天幕の中で横になり、ラナは早く明日にならないかと思いながら、眠りに落ちた。