イザーク人特有の黒い髪と、イザーク人には珍しい青い瞳の男女の双子が、ガネーシャ城の回廊で立ち話をしていた。
「ソファラに偵察に行く?」
スカサハが眉間にしわをよせて言った。
「そうよ。だって私、ガネーシャでは、何もできなかった。だから、今度は」
ラクチェはぐっと奥歯を噛み締めた。
今、セリス率いる解放軍は、ティルナノグを発ち、ガネーシャ城を帝国の手から解放し、そこに滞在している。そしてドズル家のヨハンが治めるイザーク城、ヨハルヴァが治めるソファラ城をにらんでいた。どちらから攻め落とすのかは、偵察を送りそれぞれの様子を鑑みて、ということになった。ラクチェは、その偵察に参加すると言っているのだった。
実はラクチェは、ガネーシャ城攻略には参加していない。その前のティルナノグの東のくぼ地で帝国軍を迎え撃った戦いが終わった後、気を失いそのまま眠り続けた。ラナが言うには、よほど気が張り詰めていたせいだろうということらしい。急に倒れたラクチェを、皆が心配したが、ラクチェにとっては、悔しい以外の何ものでもなかった。帝国に無残にも殺されていった者たちの、無念をはらす。二、三人の帝国兵を斬ったところで、それが果たせているとは到底思えない。
「だから偵察に行くのか?」
スカサハが確認してくる。
「うん。あ、止めてもムダだから。もうセリス様には、許可貰ったし」
ラクチェは薄いが、筋肉がほどよくついた胸を張った。
「そうか、セリス様がいいと言ったのか。なら俺は反対しない」
納得がいったように、スカサハの眉間のシワが消える。昔からスカサハは、セリスが言ったことは、驚くほど素直に受け入れる。それがなぜなのかは、ラクチェにはわからなかったが、うまく利用はさせてもらっていた。あとからばれて、怒られることも多々あったが。
「今夜、出発だろ? 大丈夫なのか?」
スカサハが心配げに訊いてくる。
「もちろん。偵察だけじゃなく、そのまま戦いになっても平気なくらい元気」
ラクチェは腕をぶんぶんと振り回す。
「自分から、突っ込んだりするなよ」
スカサハは肩をすくめた。
「わかってる。私をなんだと思ってるの」
ラクチェは憤慨した。
「そういうところが心配なんだよ」
「大丈夫よ、もう子どもじゃないんだし」
「どうかな」
「私、時間だから行くわ」
ラクチェはこれ以上、スカサハと話しをする気になれず、その場から逃げるように去った。
スカサハが心配してくれているのはわかるが、いちいち自分の行動に口を出されるのは不快である。兄と妹とは言うものの、スカサハとラクチェは双子だ。歳も一緒なのだから、スカサハに子ども扱いされるいわれはない。
スカサハとラクチェは双子だったからか、何かと比較されて育ったような気がする。剣の腕前、学識、生活態度、好きなもの、嫌いなもの。ラクチェはスカサハより勝っていると嬉しかったが、スカサハより劣っているものには、あまり熱心になれなかった。だから学問なんかさっぱりできないままきてしまった。逆にスカサハは、ラクチェより劣っているものでも、一生懸命こなした。なのでスカサハはたいていのことはこなせる。唯一、剣術だけが均衡しており、互いに好敵手として認め合っている。少なくともラクチェはそう思っている。とはいえ、戦い方は全く異なっている。スカサハは大剣から一撃必殺を繰り出すのに対し、ラクチェは軽い勇者の剣からの手数が多い戦い方をする。このようにラクチェとスカサハは、あまり似ていない双子だった。男と女なのだから当然と言えば当然なのかもしれないが。
スカサハのところから逃げ出してきたはいいが、ガネーシャ城が初めてのラクチェは、少し迷ってしまった。とりあえず大広間に出ればいいと思い、人の気配のするほうへ歩いていく。人の話し声が聞こえてきた。そのまま進むと、大広間の端に出た。暗くなり始めた城内で、柱の影に誰かがいることに気がつく。赤みがかかった金色の髪の少女。
「ラナ、こんなところでどうしたの?」
ラクチェが声をかけると、かなり驚いたようにラナがびくっと飛び跳ねた。
「ラクチェ」
ラナが弱々しい声をあげる。それだけで、幼馴染の異変にラクチェは気がついた。
「何かあったの?」
ラナの肩を掴んで、ラクチェは訊ねた。
「ううん。私は大丈夫よ」
いつものラナの笑顔だ。先ほどの弱々しい声は、幻聴だったのだろうか。だが、それが幻聴ではないということが、ラナの視線の先でわかった。セリスが誰なのだろうか、銀髪の少女と共にいた。何やら仲良く談笑している。それだけなら何とも思わないが、セリスの表情を見れば、それがただならぬ事態だということがわかった。
「どういうこと?」
発したラクチェの声は、けわしいものになってしまう。
ラナは力なく首を振る。
「セリス様!」
ラクチェは大声でセリスを呼んだ。
「ああ、ラクチェ。丁度よかった。あ、ラナも一緒なんだね」
セリスはいつもの笑顔を浮かべて言った。ラクチェの怒りには気がついてないようだった。セリスは銀髪の少女を連れて、ラクチェたちの方までゆっくり歩いてきた。
「その子、誰なんですか?」
吐き捨てるようにラクチェは言った。まるで大昔からそうだったように、銀髪の少女がセリスの隣に並び立っているのが気に入らない。そこはラナの席だ。レスターと自分が前を歩いて、セリスとラナが真ん中を歩き、その後ろをデルムッドとスカサハが歩く。それが自然だったのに、その調和を崩された気分だった。
「レヴィンが連れてきた子でね、ユリアって言うんだ」
セリスはラクチェの態度を、特に気にとめていないようだった。そのセリスの態度が、ラクチェの怒りをさらに煽った。
「ユリア、この二人は私の幼馴染のラクチェとラナ。ラナは優しいから、頼りにするといいよ。ラクチェはちょっと乱暴だけど、女の子には優しいから大丈夫」
セリスはおどけて言った。
「セリス様ったら」
ユリアの表情はあまり変わらないが、声は笑っているようだった。
「私はラナ。よろしくね、ユリア」
ラナは笑顔で手を差し出す。セリスの物言いにも、ユリアの存在にも腹が立っているラクチェとは違い、ラナがなぜ、そんな顔をしていられるかが、ラクチェにはわからなかった。
「ユリアです」
ユリアはおずおずと手を伸ばすと、ラナと握手した。その後、ラクチェのほうにも手を差し出した。
「ラクチェ、よ」
ぶっきらぼうにラクチェは言って、ユリアの握手には応じなかった。
「ラクチェ」
小さい声でラナがラクチェを咎めた。だが、ラクチェは気付かないふりをした。行き場を失った手をユリアがもてあましていた。
「ラクチェ、スカサハと喧嘩したみたいで、機嫌が悪いんです。ユリア、気にしないで」
取り繕うようにラナが言った。
「そうなんだ。それじゃあ、私はユリアをそのスカサハに紹介しにでも行こうかな」
セリスはこんな状況でも、ニコニコしている。ラクチェは何か一言、言ってやりたいと思ったが、セリスはさっさとユリアを連れて、行ってしまった。
「もう、何してるのよ」
怒気を含んだ声でラナが言った。先ほどのラクチェの態度に怒っているのだろう。
「だって、セリス様が悪いのよ。あの子は何なの!?」
ラクチェだって怒っているのだ。セリスはラナが好きだったんじゃないのか。確かに互いに恋人同士というそぶりはなかった。でもラクチェには、セリスの隣に居る女の子はラナ以外考えられない。だからセリスが悪いのだ。
「だからって、ユリアに当たるのは違うんじゃない」
ラナは穏やかな声で言った。ラナがもう怒るそぶりをみせないので、ラクチェは怒りのやり場を失う。
ラナがゆっくり歩き出したので、ラクチェはラナの腕を絡めとり、一緒に歩き出した。
「ラクチェが怒る気持ちもわかるわ。でも人の気持ちって、誰かが、ううん、自分でもどうすることもできないでしょう? だから私は大丈夫だから、ユリアとは仲良くしましょう」
ゆっくりと噛み締めるように、ラナは言った。それは自分自身にも言い聞かせているようだった。多分、一番辛いのはラナなのだ。ラクチェが怒ると、余計ラナが辛くなる。それはラクチェの思うところではない。
「ごめんね、ラナ」
ラクチェはしおらしく謝った。
「わかればいいの。でも、ありがとうね、ラクチェ」
ラナは笑顔をみせてくれた。心の底から喜んでいるという笑顔ではないが、誰かに心配をかけるようなことはないものだった。
そのあとは他愛ない話しをしながら、城の中を歩いた。そうしているうちに、救護班の詰め所についた。ラナの話によると、今は緊急を要する怪我人はいないそうだ。回復の杖を使えるのはラナのほかにマナがいるので、ラナの負担はあまりないということらしい。ただ、包帯をかえたり、シーツの洗濯など、やることはあるようなので、ラクチェも手伝うと申し出たが、偵察に行くんでしょと言われ、そういえばそうだったと、自分の任務を思い出した。あわてて支度するために自室に戻ることになってしまった。
出発の時刻はすぐにきた。城門の外には、共に偵察に行くロドルバンが馬を引いて待っていた。ロドルバンはラクチェが馬に乗る手助けをしてから、自身ももう一頭の馬にまたがった。そして二人はソファラに向かった。
ソファラへの行程の約三分の一程度進んだ昼。そこで、ラクチェは異変に気がついた。多くの人の気配がする。この先は平野が広がっており、村落ももっと先に行かねばないはずだ。
「ロドルバン」
「はい。わかっています」
二人は馬から降り、身を屈めて進んだ。しばらく行くと帝国の兵士達が陣を張っている様子が目に入る。かなりの数だ。
「ここからガネーシャへ、攻め込むつもりなんでしょうか」
怪訝そうにロドルバンが言う。
「わからないわ。もっと近付いてみましょう」
そう言うとラクチェは前に走り出した。
「ラクチェ様! 見つかってしまいます!」
ロドルバンが焦って、ラクチェの後を追ってくる。すると、帝国兵が数人、こちらにむかって動き出した。
「見つかっちゃったみたいね」
ラクチェは足を止めると、剣を抜いた。
「ラクチェ様、一旦逃げましょう」
ロドルバンがラクチェの腕を引っ張る。
「大丈夫よ、私たちならなんとかなる数よ」
「しかし」
「ロドルバンは意外と意気地がないのね」
「話が別です」
そんなやりとりをしている間にも、帝国兵は近付いてくる。ロドルバンも諦めたのか、剣を構えた。
「お前達、何者だ!」
帝国兵が二人を囲む。
ラクチェは何も言わずに、目の前の帝国兵に斬りかかった。急な攻撃に帝国兵は怯む。その隙をロドルバンが逃さず、仕留める。帝国兵が一人、死んだ。ラクチェの心に喜びが湧きあがるのと同時に、しこりのようなものが引っかかる。しかし、今はそんなものにかまっている場合ではない。ラクチェは襲い掛かってくる帝国兵に剣を向けた。
数人斬ったところで、帝国兵の数が増えているのに気がつく。このままでは埒が明かない。自分の後ろを護っていたロドルバンに、逃げるよう促そうとするが、ロドルバンの姿がない。いつの間にか四方を帝国兵に囲まれている。しまった。そう思ったときには遅かった。ラクチェの背中に熱いものが走る。斬られたと気付いた時、ラクチェは地面に横たわっていた。
「ラクチェ様!」
遠くでロドルバンの声が聞こえた。それを聞いた帝国兵が、ざわめきだすのがわかった。そこでラクチェは意識をなくした。
ラクチェが目を覚ますと、背中に鈍い痛みが走った。
「おう、気がついたか」
上から声がしたので、顔を上げる。そこにいたのはヨハルヴァだった。ラクチェは驚いて起き上がる。
「なんでお前がっ」
ラクチェは枕元に立てかけてある勇者の剣を抜こうとしたが、勇者の剣がない。それによく見れば、ここは見たこともない天幕の中だ。ラクチェは混乱していた。
「探してんのは、これか?」
ヨハルヴァが、ラクチェのものと思える勇者の剣を差し出した。
ラクチェはそれを奪い取るように受けとり、ヨハルヴァのそばから離れた。
「そんなに警戒しなくても、お前には何もしねえよ。あー、傷は手当てしてあるから、心配する必要はねえぜ」
傷。そうだ偵察しているのが見つかり、帝国兵に囲まれて、背中を斬られたのだ。そのあと捕まったのだろう。そこまで考えてロドルバンの姿を探す。意外に広い天幕の中には、ヨハルヴァと自分しかいないようだった。
「ロドルバンはどこ!」
ラクチェは充分距離をとって、勇者の剣を抜いて叫んだ。
「おいおい、剣はしまえよ。何もしねえって言ってるだろ」
ヨハルヴァは困ったように頭をかいた。
「ロドルバンは!?」
「……お前が剣をしまったら、教えてやる」
ヨハルヴァは少し考えてから言った。
ラクチェはしかたなく、剣をしまった。それを確認したヨハルヴァが言った。
「外に縛ってある。殺したりなんかしてねえよ」
それを聞いてラクチェは安堵した。ロドルバンを助けて逃げ出そう、そう思った。
「なあ、ラクチェ」
「気安く呼ばないで」
冷たくラクチェは言い放つ。
「反乱軍から抜けねえか? おれはお前とだけは戦えねえ。お前を死なせたくねえんだ」
ヨハルヴァがまっすぐにラクチェを見て言った。
「私に裏切れって言うの?」
ラクチェは怒りがふつふつとわいてくるのを感じた。自分が、簡単に仲間を裏切る人間だと思われているのが不愉快だ。帝国の人間ならば、互いに足を引っ張り合ったりするために簡単に裏切るのかもしれないが、ラクチェは誇り高いイザークの剣士だ。自分が剣をささげたものを裏切るなどありえない。やはり帝国の人間は、帝国の人間だけのことはあるなと、ラクチェは思った。
「そういうことになるな」
ヨハルヴァがうつむいた。が、すぐに顔を上げた。
「お前の親父はおれの叔父にあたる、ドズルの人間だろ。だから帝国にもすぐ馴染める……」
最後の言葉まで待たずに、ラクチェはヨハルヴァに斬りかかっていた。ヨハルヴァは一撃目をなんとか避けたものの、二撃目は避けられず後ろに倒れる。
「私は、帝国の人間なんかじゃない!」
ラクチェは悲鳴をあげるようにそう叫ぶと、天幕の外へ飛び出した。
不審な物音とラクチェの声を聞いてか、帝国兵が集まってくる。ラクチェはその群れの中を必死に走った。
だが、走っても、走っても、何かが追いかけてきて、それが振り払えないような気がしてならなかった。