ヨハルヴァ率いるソファラ軍との戦闘が解放軍の勝利に終わり、王都イザークをにらむように解放軍の陣が、ガネーシャの南の平原にしかれた。そして、オイフェに率いられた解放軍の一部の兵がソファラ城を帝国から解放させた。イザーク国民は歓喜にわき、セリスの名声は高まる一方だった。
「セリス様」
ラクチェは、作戦会議に出るため、自分の天幕から出た。すると丁度、セリスが歩いてきたため、ラクチェはセリスに声をかけた。セリスの後ろには、スカサハが書簡らしきものを持ってしたがっていた。
「やあ、ラクチェ。これからどこに行くの?」
にこやかにセリスが言った。
「どこって、作戦会議ですよ」
ラクチェは口をとがらせて言った。ラクチェは軍議には、本当はあまり出たくない。出たところで、難しい話を聞かされるだけで、よくわからない。それに、スカサハの隊に所属しているので、スカサハの指示に従えばいいので、出なくても困ることはあまりない。ただイザーク王家に名を連ねるものとして示しがつかないので、参加しているだけだ。話を聞いていなかったり、途中で抜け出したりしたこともあるが、セリスにそんなことを言われるとは思ってなかった。
「セリス様こそ、どこ行くんですか?」
ラクチェはセリスに言い返してみた。セリスのうしろで、スカサハがおもいっきりむっとしたが、慣れているので気にしない。
「作戦会議だよ。一緒だね」
セリスの笑顔は崩れない。
「ラクチェ、今日は無理して出なくてもいい」
スカサハがそう囁いた。
「どうしてよ」
そんなことを言われると、何が何でも出てやるという気にさせられる。ラクチェの表情からそれを読み取ったのか、スカサハは困ったように黙り込んだ。
「大丈夫だよ、スカサハ。心配しないで」
セリスの言葉は力強かった。スカサハは安心したように、はいと返事すると、歩き出したセリスのうしろについていく。ラクチェも置いていかれないようにスカサハの横を歩く。何をふたりで隠しているのか知らないが、ラクチェは面白くなかった。
軍議用の天幕に入ると、スカサハが、普段ならオイフェがいる席に立つ。今はオイフェがソファラに行っていていないので、スカサハが代わりだ。レスターも居ないので、彼の席は空席だ。
セリスが皆の前に出て、軍議が始まった。最初にセリスが、ソファラ城を解放できたことへの祝福の言葉を言う。
最初は真面目に聞いていたが、セリスの話が長いので、ラクチェは他のことを考え始めた。今日の夕食はなんだろう。ラナが今作っている最中だろうな。そういえば、ラナは大丈夫なのだろうか。さすがのセリスも軍議にユリアを連れてくる気はないようだ。戦闘中も一緒にいるなんてことはないようだし、セリスは忙しいから、暇をもてあましてユリアにべったりなんてこともないようだった。ひとまずは安心してよいのだろうと、ラクチェは考えをまとめた。
ラクチェが色々考えているうちに、いつの間にか戦略のほうへと話が進んでいた。デルムッドがイザーク軍の配置を説明するための駒を用意している。つまらないなあとラクチェが思った時、セリスが耳を疑うようなことを口にした。
「イザークのヨハン王子が、解放軍の参加への書簡を密書で送ってきた」
その言葉に合わせて、スカサハが持っていた書簡を皆に見えるように開いた。
「私はこれを呑もうと思う」
セリスは今、何と言ったのだ。帝国と手を組むつもりなのか。そんなことラクチェに許せるはずがなかった。
「絶対反対です!」
セリスの言葉を遮るように、ラクチェは机を両手でおもいっきり叩いて、そう叫んだ。
「帝国の奴らなんか、信用できません! きっと寝首を掻こうって魂胆に決まってます!」
ラクチェは烈火のように激憤しながらセリスに言った。スカサハが「出なくていい」と言ったのは、このことがあったからなのか。ラクチェに隠そうとしていたことも気に入らない。ラクチェはふつふつと怒りがたまっていった。
「ラクチェ……」
「絶対、罠です! 騙されちゃダメです!」
セリスの言葉を遮って、ラクチェは言い続ける。
「あいつらは全員、殺してやらなきゃならないんです!」
ラクチェは大声でそう言いきった。
「言いたいことは、言えた?」
セリスがひどく優しい声で言った。だがその言葉には、それ以上何かを言うことを許さないような、有無を言わせぬ強さがあった。
「あ、はい……」
勢いを殺がれてラクチェは、返事をする。セリスはよかったと、微笑んだ。
「私たちが戦うのは、個人的な恨みじゃない。これ以上、憎しみが生まれない世の中にするために戦っているんだ」
セリスの瞳はどこまでも真っ直ぐだった。
「だから、この先、いろいろな立場のものが、私たちの敵になったり味方になったりするだろう。だけれども、それを血や家柄で判断してはいけない。そうでなければ、帝国が他国を蹂躙した歴史と同じことが、今後も繰り返されることになってしまうだろう」
いつの間にか、ラクチェだけではなく皆に、セリスは語りかけていた。皆は真剣にセリスの言葉に耳を傾けていた。
「だから私は、共に平和な道を歩もうという人を、信じたい」
セリスの強い言葉を受け、ラクチェは帝国と手を組むことに嫌悪感を覚えるが、もう何も言えなかった。セリスの言葉に説得された者たちが、拍手をして同意していた。スカサハなんか頬を上気させて、手を強く叩いて感動している。
「でも、ラクチェの言うことも尤もだから、ヨハン王子には、私にひとりで会いに来るように返事をするよ」
拍手がおさまって皆が静かになってから、セリスはそう宣言した。否を唱えるものはもちろん、ひとりもいなかった。
「では、私もその場に同席させてください」
それならと、ラクチェはそう申し出た。帝国のやつなんかと顔を合わせるのはイヤだが、知らないうちに帝国のやつが、我が物顔で解放軍に参加されるほうがずっとイヤだった。それにむこうが何か粗相をしたとき、つっぱねることができるかもしれない。最悪、自分が暴れて、その場をむちゃくちゃにすることができるかもしれない。そう思いついた。
「うーん。軍議が終わるまで待ってくれたらね」
長考してからセリスが答えた。軍議の間中に、考えてくれるということなのだろうか。ラクチェもそれにわかりましたと返事した。
あとは、早く軍議が終わるのを待つだけだ。ラクチェが苛々していたせいか、軍議はなかなか進まないように感じられた。軍議が終わったころには、ラクチェはセリスの許可がなくても、ヨハンとセリスの対顔に居合わせるつもりになっていた。ので、他のものと一緒に、天幕を出ようとしていた。
「ラクチェ、ちょっと待って」
セリスに呼び止められ、ラクチェははっとしてセリスの元まで行った。ラクチェがヨハンとの会合に、自分も参加していいかという答えを問おうと口を開こうとした。すると、セリスが書簡らしきものをラクチェの顔先につき出した。
「なん……ですか」
毒気を抜かれて、ラクチェは言った。
「恋文」
セリスは心底楽しそうに、笑顔を浮かべながら言った。
恋文。そんなものをセリスから貰うとは、予想していなかった。ラナに悪いと思うより先に、セリスの意図が読めずに困惑した。いったいどういうことなのだろうか。
ラクチェが目を白黒させていると、セリスは
「はやく読んでみて」
とわくわくしている。
目の前で読まれて、恥ずかしくないのだろうか。それとも早く、ラクチェの返事が欲しいのだろうか。それなら口頭にすればいいのにと、ラクチェは思いつつも封を切った。
手紙の内容は、やけに修飾語や誇張表現が多い愛の告白だった。セリス様は意外に詩人の才があるなあと思っていると、最後の署名が目に入る。
「女神に射抜かれた愚かな子羊ヨハン」
思わずラクチェは声に出して読んでしまった。
「どういうことですかー!」
書簡を投げ捨ててラクチェは、セリスに怒鳴った。
どおりで楽しそうにしているわけだ。セリスはラクチェの反応がわかって、いてこういうことをする人だ。反応すればするほど面白がられるであろうが、ラクチェは怒りを抑えることができない。
「いや、ヨハン王子の密書に一緒に入っていたんだよ。まさか本当に恋文とは思わなかったよ」
セリスは困ったような格好をしているが、内心ラクチェの反応に満足しているに違いない。ラクチェの怒りは増すばかりだ。思いつく限りの言葉で、セリスを罵る。
ラクチェの息が切れたところで、セリスはこう言った。
「恋文ひとつでこんなになっちゃうなんて、本人に会ったら何をするかわかったものじゃないね。今回は……」
「す、すみません! 絶対、おとなしくしますから。何があっても暴れたりしません」
セリスの言葉が終わる前に、ラクチェはそうたたみ掛けた。
「わかった。約束だよ」
セリスは笑顔を浮かべてそう言った。
これでは、何のためにヨハンとセリスの対顔に参加するのか分からない。まあ、いざというときにセリスを守れる立場にいられるだけ違うのかもしれないと思い、無理矢理自分を納得させた。
ヨハンとセリスの対顔は、ラクチェが思っていたより早く行われた。それはヨハンがイザーク城に居たのではなく、ガネーシャの南の平原に陣を敷いていたということもあったからだった。
ラクチェがセリスの天幕に入って待っていると、セリスがスカサハを連れて、入ってきた。スカサハが、セリスの後ろにいるのが当然のような顔をしているので、ラクチェは
「なんでスカサハも居るのよ」
と憎まれ口をたたいた。ラクチェは暴れないという約束で、同席を許してもらえたのに、スカサハは何も条件がなくても参加できるなんて、不公平だと思ったからだ。
「セリス様をお守りするためだ」
淡々とスカサハが言う。そういえば、スカサハは戦闘の時に使う銀の大剣を背中に背負っている。放つ気配も普段とは段違いだ。何かあれば、ヨハンを問答無用で叩き斬る。そのつもりなのだろう。
スカサハがいれば、ラクチェに用はないと言われないように、ラクチェも腰に差している勇者の剣を握った。相手は帝国の奴だ。何をしてくるかわからない。
しばらくして。
「セリス様、失礼します。ヨハン王子をお連れしました」
「うん。入って」
セリスの返事に、オイフェがヨハンを連れて、天幕の中に入ってきた。ヨハンの後についてくる者はいない。こんな敵軍の中に、本当にひとりできたのか。あんなけばけばしい文を書くわりには骨のあるやつなのだなと、うっかり思いそうになり、慌ててラクチェは頭を振った。相手は帝国だ。そんな感心は無用だ。
ヨハンとセリスが向かい合う。ラクチェも緊張する。
「ヨハン王子、ご足労ありがとうございます」
先に手を差しだしたのは、セリスだった。しかし、ヨハンはその手を取らずに、セリスの前に跪いた。
「セリス様にいたっては、ご機嫌麗しいことと、存知奉りあげます。この不肖ヨハン、セリス様に心身尽くしてお仕えすることを、誓いとうございます」
深く頭を垂れて、ヨハンが言った。
セリスはそれをみると、自分も片膝をついて、ヨハンと同じ目線になった。
「堅苦しい挨拶は抜きにしましょう、ヨハン王子。私はヨハン王子の英断を喜ばしく思っています」
「セリス様……。ありがとうございます」
ラクチェはセリスの斜めうしろに立っているので、セリスの表情はわからなかったが、ヨハンの感動している顔はよく見えた。ヨハンの態度は大げさだったが、嘘をついているようには思えなかった。だが、ラクチェはヨハンが何か失態を犯さないか、睨み付けるように見つめていた。そうしていると、ヨハンと目が合う。するとヨハンは、ラクチェの方に腕を広げて高らかに言った。
「ああ、ラクチェ……わが愛しの人よ。ついに運命の日は来たり……。ラクチェ……。きみの言葉は小鳥のさえずり。きみのひとみは、星のまたたき」
「やめろ! きもちが悪い!」
ラクチェは全身が粟立った。やはりこいつは、どこかおかしい。とても正気とは思えない。
「ところで我が女神よ、私の想いを密やかにしたためた文の返事を、お聞かせ願いたい」
上機嫌で訊いてくるヨハンに、ラクチェの中で何かが切れた。ラクチェは、ヨハンの元まで歩いていくと、拳を握りしめた。そして、それを振り下ろそうとした時、腕を捕まれ、動きが止まる。
「ラクチェ、落ち着け」
スカサハが腕をつかんでいた。そしてそのまま、ずるずると外へと連れ出されてしまった。
「なんで、邪魔するのよ!」
ラクチェはスカサハの手を振り払うと、大声で怒鳴った。
「ヨハンを怪我させてかえすわけには、いかないだろう」
はあっとため息を吐いて、スカサハが言う。
「それにお前、絶対暴れないって、セリス様と約束したんだろ」
「うっ」
ラクチェはそう約束したことを、すっかり忘れていた。
「とりあえず、頭を冷やせ。わかったな」
そう言うと、スカサハは天幕の中に戻っていった。もうラクチェを中に入れてくれることはないだろう。仕方なく、ラクチェは自分の天幕に戻ることにした。
この分では、ヨハンは解放軍に加わることになるのだろう。帝国のやつらと肩を並べて戦う。そんなことが自分にできるのだろうか。ラクチェは重い足取りだった。