その理由を 05


 ヨハン王子が解放軍に加わることとなり、ヨハンはセリスに王都イザークの支配権を譲渡した。これにより、無血でイザーク城にセリス率いる解放軍は入城することができた。
 ラクチェはヨハンという追手から逃れるため、救護班の詰め所に向かっていた。目立った戦いはなく、怪我人も少ないため、救護班の詰め所にはラナしかいなかった。そう考えて逃げてきていたので、ラクチェは丁度よかったと、内心喜んだ。
「ラナ、ヨハンが来たら、よろしくね!」
 そういうと、ラクチェはラナの座っている椅子とテーブルの間にもぐりこんだ。テーブルには丁度、布がかけてあり、屈んで覗き込まなければラクチェの姿は見えないだろう。しばらくラクチェが身動きせずに固まっていると
「おお、蒲公英の君よ、我が愛しの女神を見かけていませんか?」
 芝居がかった口調で、ヨハンがラナに声をかけてきた。何がたんぽぽの君だ。わけのわからない呼び名に、ラクチェは毒づきたくなった。
「あら、ヨハンさん。こんにちは。今日もラクチェを追い回しているのね」
 ラナがのんびりした口調で、ヨハンに挨拶する。
「追い回している? いえ、これは私たちの愛の語り合いですよ。女神は照れ屋なので」
 誰が照れ屋だ。愛の語り合いだ。私は嫌がっているのが、わからないのか。ラクチェは飛び出して、ヨハンの頭を殴ってやりたい衝動に駆られたが、心の中で悪態を吐くだけで我慢した。
 ヨハンは解放軍に参加してから、こんな風にラクチェのことを追い回している。最初のうちは、ラクチェもまともに相手をしていた。相手をしているというより、激しい拒絶の意思を伝えていたが正しいか。
事実、ラクチェは帝国側の人間だったヨハンを信用していなかったし、同じ場所に居て、同じ空気を吸うのもイヤだったほどだ。だが、ヨハンはそんなラクチェの意思などおかまいなしに、会う度に「愛している」に修飾語を重ねに重ねた言葉を発しながら、ラクチェに付き纏うのだ。一々、相手をしていられないと思ったラクチェは、ヨハンを見たらすぐさま逃げる癖がついた。それでもヨハンは諦めずにラクチェを追いかけてくる。しかし、ヨハンを良く思っていない者もラクチェの他に居る様で、ラクチェを匿ってくれる者が多い。ラナもそのひとりだと、ラクチェは思っている。
「そうですか」
 呆れた声でラナがつぶやいた。
「あの、私は今忙しいですから、また後にしてくださいませんか?」
 あくまで口調は丁寧だが、ラナの言葉にはちくちくと棘が含まれているのが感じられた。
「ああ、これはなんと言う粗相を。それでは、退散いたしましょう。ごきげんよう、蒲公英の君」
 そう言われては、ヨハンは引くしかないようで、あっさり引き下がってくれた。ヨハンの気配がまったくしなくなるまで待つと、ラクチェはテーブルの下から這い出た。
「何、たんぽぽの君って」
 ラクチェは訝しげにラナに訊ねた。
「軍の女の子たちに、そういうあだ名をつけてまわってるみたいよ。マナは雛菊の君。ラドネイは杏の君。ユリアは百合の君。おかしな人よね」
 ラナが、ころころと笑いながらそう言った。
 あの男はそんなことをしているのかと、ラクチェは頭を抱え込んで、ラナの隣に座った。
「それだけじゃないわ」
 まだあるのか。げっそりとしてラクチェはラナの言葉を待った。
「スカサハのこと、義兄上って呼んでるわよ」
 ラナがお茶を飲みながら言った。
「あ、あにうえって……スカサハはどうしてるのよ」
 ラクチェはラナに詰問した。
「普通に返事してたけど。いいの?」
 小首を傾げてラナは言う。
「いいわけないじゃない! なんで訂正しないのよ、スカサハのバカ!」
 だんっと音が出るくらいの勢いで、ラクチェはテーブルを叩いた。ラクチェがヨハンを好いていないことくらい分かっているはずなのに、なぜスカサハは、ヨハンを付け上がらせるようなことをするのだろうか。ラクチェはスカサハに腹を立てていた。
「でも、ヨハンさんとなら、ラクチェもうまくやっていけるんじゃないかしら」
 伏せてあったカップを取り、ラクチェの分のお茶を注ぎながら、ラナが言った。
「ラナまでそんなこと言わないでっ」
 ラクチェは激しくかぶりを振る。帝国のやつなんかと一緒に戦うことですら嫌悪感を覚えるのに、うまくやっていけるはずがない。ラナが何を思ってそう言うのか、ラクチェには分からなかった。
「それに私はシャナン様のことが好きなのよ、あんな奴、お断りだわ」
 ラクチェはそう言って、お茶を一気に飲み干した。
「そんなことより、ラナ、セリス様とはどうなっているの?」
 ラクチェはラナの様子を窺った。あのユリアという子とセリスがほとんどの時間を、共に過ごしているということをラクチェも聞き及んでいる。中にはセリスとユリアが恋人なのではないかという輩までいる。ラナがそれをどう思っているのかが、ラクチェは心配だった。
「大丈夫よ。セリス様は救護班のお仕事を色々と、気にかけてくれるし」
 にっこりとラナは笑った。
「そうじゃなくて、あのユリアって子に、セリス様盗られちゃわないかって、訊いてるの!」
 呑気に笑っているラナに痺れを切らせて、ラクチェは直球に訊ねた。
 その言葉を聞いたラナは、少しうつむいた。が、すぐに顔を上げ笑顔を浮かべた。
「ユリアはとってもいい子よ。それに盗られた盗られてないって、セリス様は物じゃないんだから」
 この様子では、ラクチェの耳に入ってきていることが、概ね正しいということなのだろう。ラナはたぶん無理をしている。ラクチェに心配させたくないからなのかもしれないが、そんな風に笑ってごまかしてほしくなかった。自分では頼りにならないのだろうか。ラクチェは寂しい気分になってしまった。
ラナは昔から自分の気持ちを押し込めるきらいがある。そして、それを周りに隠すのも得意だ。現にスカサハなんかは、全然気がつかない。でもラクチェには、ラナがそういう無理をしていることは分かる。優しい笑顔にごまかされたりしない。だからラナもラクチェには、本当のことを言ってくれる時もあった。しかし、今回はそうではない。それがラクチェを悲しい気分にさせた。どんな時もラクチェはラナの味方のつもりだ。辛いことは、話して欲しい。
「ねえ、ラナ……」
 ラクチェがラナに言葉を発しようとした時、
「ラナ、交代の時間よ」
 扉を開けて、ユリアが入ってきた。自然、ラクチェの言葉は遮られる。
「あ、ラクチェ……さん。こんにちは」
 ラクチェの姿に気がついたユリアが、ぺこりと頭を下げる。
ラナは呼び捨てだけど、私はさん付けなのね。なんとなく釈然としない思いがラクチェの心に浮かび上がる。
ラナがユリアと親しくしているということも、ラクチェは聞いていたが、それならユリアも、ラナがセリスに想いを寄せていることくらい気付いて欲しいものだ。
「ラクチェ、私、行くわね。ユリアとここに居てもいいから」
 ラナが立ち上がりながらそう言った。ユリアがその言葉に、顔には出さないが不安げな雰囲気を醸し出している。多分、ラクチェの眉間によったシワが原因だろう。お互い様というわけだ。
「私、部屋に戻るわ」
 ラクチェがそういうと、ラナが残念そうな顔をする。ラナとしては、この機会にでもラクチェとユリアが仲良くなってほしいのかもしれないが、ラクチェはユリアと仲良くなる気はないし、ユリアも初対面の時の行動でラクチェをあまりよく思っていないだろう。なので、ラナの思う通りにはならない。
 ラクチェはそれじゃあとラナに声をかけて、救護班の詰め所をあとにした。
 部屋に戻るため、イザーク城の回廊をラクチェが歩いていると
「おお、我が愛しの女神」
 後ろからそう声が聞こえてきた瞬間、ラクチェは慌てて走り出した。
「なぜ、逃げるのだい? 私の心は、籠から逃げたナイチンゲールを探す少女のように、悲しみが支配してしまうよ、ラクチェ」
 また訳のわからない喩えを口走りながらヨハンが追いかけてくる。ラクチェはだんだん腹が立ってきた。何か一言、ヨハンに言ってやりたくなった。なので、ラクチェは立ち止まり、怒りにまかせて叫んだ。
「なんで私につきまとうのよ、私が嫌がっているのがわからないの?」
「それは、これが私の愛の形だからだよ、ラクチェ」
 しばらくの間があってから、ヨハンが言った。
何が愛の形だ。好きな人が嫌がることをすることのどこがいいのだ。少しはラナを見習え。ラクチェの頭をそんな考えがよぎる。ラナのことを思い出し、ラクチェの胸は締め付けられるような思いだった。ラクチェはまるでそれがヨハンのせいのように感じられ、ヨハンをにらみつけた。大声を出したせいなのか、ラクチェはひどく息苦しかった。
 ヨハンはラクチェに睨みつけられているにも関わらず、ゆっくりとラクチェに近付いてくる。そして、
「そんなに泣かないでおくれ」
 そう言って、ラクチェの顔に手を伸ばしてきた。
「さわるな」
 ラクチェはヨハンの手をぴしゃりと撥ねつけた。
 ヨハンに言われて、自分が泣いていることにラクチェは気付かされる。最近は泣いてばかりだ。感情がひどく不安定で、自分でもどうすることもできない。それもこれも全部、目の前に居るこの男のせいだと思いたくなった。そうだ、こいつは帝国の奴だ。私がいくら憎んでもいい相手のはずだ。それなのにラクチェは、ヨハンを今ここで叩き斬るという考えにはおよばなかった。なぜかヨハンを憎みきれないでいる自分に気がついた。
そこまで思いをめぐらせ、ラクチェは無理やり思考を停止した。これ以上ヨハンのことを思案しても、ラクチェの帝国への憎しみは消えないし、ヨハンと分かり合おうという気もないからだ。
「もう二度と私に付き纏わないで」
 ラクチェはそう吐き捨てると、足早にそこから立ち去った。
 ヨハンも、もう追いかけては来なかった。

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2010.8.2
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