リボー城には、ダナンとそのわずかな手勢が残っているだけで、陥落は時間の問題だった。
そのリボー城内で、ラクチェとヨハンは玉座にいるダナンと相対していた。先陣を切ってダナンのところまで駆けて行ったラクチェの後を、ヨハンが慌てて追いかけてきたので、こっちは二人しか居ない。しかし幸いなのか、ダナンはたったひとりで玉座に腰掛けていた。その威圧感は今までラクチェが戦ってきた、どの相手よりも強かった。
「ヨハン、つまらぬ女にだまされおって」
哀れむかのように、ダナンが言う。それは、父親としてではなく、これから死に逝く者へむけるような言葉だった。
「私は愛に生きると誓ったのだ。許せよ、父上」
ヨハンがいつもの軽口を叩く。しかし、その声はかすかに震えていた。
「まあ、よい。お前達ぐらいは道連れにしなければ、陛下に申し訳が立たん。できれば、シグルドのこせがれの首をあげたかったが、ドズルの汚点を消すことができるだけ、ありがたいと思わねばな」
ダナンの凄みがいっそう増す。ラクチェは、緊張で唇が乾く。足ががくがくと震えそうになるが、ラクチェはあの時の、帝国に殺されていったイザークの民のことを思い出し、勇者の剣を握りなおした。その瞬間、ダナンが構えていた戦斧をわずかに下げた。その隙を見逃さず、ラクチェはダナンに流星剣をはなった。
次の瞬間、ラクチェは腹に鋭い痛みを覚えながら、宙を舞った。続けて、床に落ちる衝撃と痛みがくる。
「ラクチェっ!」
ヨハンの悲痛な叫び声が聞こえた。
何が起こったのだ。ラクチェは、ダナンに攻撃されたということを理解するのに、数秒かかった。立ち上がろうとするが、腹部の痛みが激しくて、剣を支えにしなければならない。これでは戦えない。恨みをはらさなければならないのに。目の前のこの男――ダナンがいなければ、失われずにすんだ命はどれほどか。ラクチェは奥歯を噛み締めた。自分の命はここでついえてもいい。こいつを、帝国を倒すのだ。ラクチェは立ち上がった。
「ほう、まだやるというのか」
面白そうに、ダナンがラクチェの許までやってくる。
ラクチェは剣を構え、ダナンをにらみつけた。ラクチェは最後の抵抗とばかりに、ダナンに体当たりした。腹が痛みでどうにかなってしまいそうだった。しかし、ラクチェが力なく倒れただけで、ダナンには何の邪魔にもならなかったようだった。
「これで終わりだ」
ダナンが戦斧を振り上げる。ラクチェは目を閉じた。
瞬間、重い金属音が響く。
ラクチェは襲ってくるはずの痛みがないことを不思議に思い、恐る恐る目を開けた。するとラクチェとダナンの間に、ヨハンがいた。ダナンの戦斧をヨハンの勇者の斧が、受け止めていた。
「やるようになったではないか」
力は拮抗しているように見えるが、体勢の悪いヨハンより、ダナンのほうが圧倒的に有利だ。ヨハンごと、ラクチェが斬り裂かれるのも近い。何かできないか。そう考えた、その時
「ぐはぁっ!」
最初、ラクチェはヨハンの叫び声だと思ったが、違っていた。
ダナンの腕に矢が突き刺さっている。あれはレスターの矢だ。
ヨハンがダナンの怯んだ隙に戦斧を叩き落とした。そして、セリスが兵を率いて、一斉に広間に入ってきた。解放軍の戦士たちは武器を向け、ダナンの周りを包囲した。
「ダナン王、あなたの負けです。リボー城は解放軍が制圧しました」
セリスが凛とした声で言った。
「くっ……」
ダナンが膝をつく。それを解放軍の戦士が縄で縛りあげた。
「あなたの支配によって、多くの人が苦しみ、死んでいった。その報いを受ける時です」
そう言って、セリスが銀の剣を抜くと
「セリス様、その役目、私にお譲りください」
ヨハンが進み出てそう言った。
ラクチェの場所からは、セリスの表情もヨハンの表情も見えない。セリスはしばらく黙っていたが、やがて頷くとヨハンに自分の銀の剣を渡した。ヨハンはそれを恭しく受け取ると、ダナンの首をなんのためらいもなく、刎ねた。
解放軍の者たちが、歓喜に湧く。これで、イザークはグランベル帝国の支配から解放されたのだった。ラクチェは何の実感もわかないまま、意識を手放した。