イザーク解放戦争が、解放軍の勝利で終わった。次の段階に進むため、解放軍は再編を迫られていて、みな忙しかった。
その合間をぬって、ラナが大怪我をしたラクチェの世話をしていた。
「ラクチェのばか」
「ごめん」
ラナとラクチェは何度目になるか分からないくらい、このやり取りを繰り返していた。
ダナンとの戦いで、ラクチェが負った傷は深く、ラナ、ユリアの二人で同時に杖を使わなければならないほどだった。ラクチェもこん睡状態が二日ほど続き、ラナはえらく心配していたらしい。
「ラクチェのばか。それ、痕に残っちゃうんだから」
包帯を換えながらラナが言う。そうなのだ、ラクチェの腹部の傷は、痕に残ってしまうらしかった。
「ごめん。でもこのくらいの傷痕、私は気にならないけど」
「ばか。全然反省してない。ラクチェのばか」
「もー、ごめんってば」
ラナが包帯を換えるたびに、傷のことで言及されるので、ラクチェは心配してくれるのはありがたいが、少しうんざりしていた。傷痕は、戦士の勲章だと思っているラクチェには、ラナが怒る理由があまり理解できなかった。それにどうせ服を着てしまえば、わからないのだからかまわない。そうラクチェは思っていた。
扉がコンコンとノックされる。
ラクチェは身分のせいもあるが、怪我の程度がひどかったので、個室で看病してもらっている。多分、誰かが見舞いにでも来たのだろう。デルムッドやらラドネイあたりだろうか。スカサハは喧嘩中なので、来る可能性は低い。
「ちょっと待ってくださいね」
ラナがそう返事しながら、手際よく、包帯を留め、ラクチェに寝巻きを着せた。
「どうぞ」
ラナがよしと頷いてから、ラクチェは扉に向かって、声をかけた。
「失礼」
なんと入ってきたのは、ヨハンだった。手にはバラの花束。そしていつもの装飾過多の挨拶。相変わらず、何を考えているか分からない。
ラナがラクチェのほうを見る。追い返したほうがいいか、目で訊ねてきているのだろう。ラクチェはそれに首を振った。
「私、あなたに訊きたいことがあるの。いい? ヨハン」
ラクチェは初めて、ヨハンとまともに話そうとしていた。ダナンとの戦いの時、共に戦い、ヨハンを少し見直したということ。そして、スカサハが言っていた、帝国が憎くないのに戦える理由、それをヨハンはもっているはずだ。ラクチェはそれが知りたかった。なので、ヨハンときちんと話してみようと思ったのだ。
「ええ、もちろんです。我が愛しの女神よ」
ヨハンが腕を広げて答える。
ラナがまたラクチェを見る。ラクチェはそれに頷く。
「また来るわね、ラクチェ。ヨハンさん、ごゆっくり」
そう言って、ラナが部屋から出て行った。
「ラクチェ、この無粋な男が貴方のお傍にはべること、お許し願えますか?」
ヨハンが恭しくお辞儀をしてくる。
「座りたいなら、勝手に座ればいいじゃない」
なんでこの男は、こんなに面倒くさいんだ。まともに話すことなんて、できるのか。ラクチェは心配になってきた。
ヨハンが失礼と言って、ラクチェのベッドの脇にあった椅子に腰掛けた。
「ラクチェ、これを」
そう言って、ヨハンが手に持っていたバラの花束を差し出した。
「イザークから摘んできたものだ。美しいものは傷ついた心を和ませる」
「いらないわよ」
ラクチェはふんっと顔をそらした。
「そうですか、何と言う無念」
ヨハンががっかりと肩を落とす。
「それより、私の質問に答えて」
「はい。なんなりと」
ヨハンが今度は嬉しそうに、顔を上げる。何を期待しているのだろう。あいにく、ヨハンが喜び勇んで答えるような質問ではない。ラクチェだったら、そんなことを訊かれたら嫌な気分になる。
だが、ラクチェはヨハンに訊かずにはいられなかった。
「どうして、自分の父親を殺せたの?」
言ってしまってからラクチェは、単刀直入すぎたかと、ちょっと後悔した。しかし、ヨハンは気にしたふうもなくこう言った。
「私が選んだ道だから、自分で落とし前をつけたかったからですよ」
「よくわからないわ、もっとわかりやすく言って」
ラクチェは自分の眉間にシワがよるのを感じながら言った。
「わからないのなら、それでいいのだ。ラクチェ」
ヨハンはいつになく、おだやかな笑みを浮かべてそう言った。
ラクチェはそれに驚いた。わからなくていい。何を言っているのだろうか。私は答えが知りたいのに。ラクチェがそう言おうと口を開きかけると、ヨハンが続けて言った。
「今はわからなくても、いつかわかる日がやってくるかもしれない。急がなくていいのです」
急がなくていい。私は急ぎ過ぎていたのだろうか。だからスカサハの言っていた答えにたどり着けなかったのだろうか。
「今はそれで充分なのだから」
ヨハンの穏やかな瞳にみつめられて、ラクチェは、心の中が不思議と落ち着いていくのを感じた。不安定だった足元が少し固められた気分だった。
「そして、私のラクチェへの愛は、エッダ神の神託よりも揺るぎなきものなのだ」
ヨハンが右腕を高らかに上げて、装飾を重ねた語句を並べ始める。
「それは分かったから、私の話は終わり」
そのまま放っておくと、ヨハンの愛の語りが続いてしまいそうなので、ラクチェは慌ててそう言った。
「分かってくれたのかい? 嘆きの川で涙を凍らすこととなる、この私の切なる想いを!」
ヨハンが椅子から立ち上がり、ラクチェの手を握る。
「話は終わったって、言ってるでしょ! とっとと、出てけ!」
ラクチェはヨハンの手を振りほどくと、枕を顔に投げつけてやった。
「ははは。相変わらず、ラクチェは照れ屋なのだね。では、名残は惜しいが、私も忙しい身なのだ。また会いにくるよ」
「もう来なくていい」
笑いながら去るヨハンの背中に、ラクチェは舌を出した。やっぱりあの男の言動は理解不能だ。少しでも見直した自分を叱責したくなった。