その理由を 09


 編成を終えた解放軍は、レンスターで旗揚げしたリーフ王子を助けるべく、魔の砂漠とも呼ばれるイード砂漠に足を踏み入れていた。
 しかし、重傷者だったラクチェは、リボー城に残されていた。
 ラクチェはずいぶんと静かになってしまったリボー城の訓練場で、木刀を振り回していた。ひとりで部屋に篭っていると、色々なことを考えてしまうからだ。
 帝国と戦う理由。憎しみからではない、と兄は言った。それが分からなくてもかまわない、とあいつは言った。わからない。帝国が憎いから戦う。それではいけないのだろうか。それもわからなかった。気を紛らわせるため、木刀を振るう。
「ラクチェ様、またここにいらしたのですか」
 ロドルバンがやってきて、ラクチェから木刀を取り上げる。
「だって、身体が鈍ってしまいそうなんだもの」
 ラクチェは口をとがらせた。
「こんな調子では、明日の出発を遅らせますよ」
 やれやれとロドルバンはため息をつく。
「えっ。明日には出発していいの?」
 ラクチェは声を弾ませる。
「ええ。明日にはマナも出発すると言っていたので」
 マナは本来ならばセリス達と一緒に、レンスターに行くという選択をしていた。イザークには残らない。ただ、ラクチェや他の重傷者たちのために、リボーに残っていたのだった。
 ラドネイもマナが行くならと、先にセリスたちと一緒に出発していた。しかし、ロドルバンはイザークに残るそうで、こうしてリボー城の守りをかためてくれている。
「そっか。それじゃあ、しばらくロドルバンには会えなくなっちゃうんだね」
 ラクチェは、しんみりとロドルバンを見た。
「でも今まで会えなくなっていた、ラナ様やスカサハ様たちに、お会いできるようになるのですから」
「そうね」
 そうか、もうすぐヨハンとも顔を合わせることになるのか。まだ解放軍がリボー城に駐屯していた時は、毎日のように会いに来て鬱陶しかったヨハンに、また付き合わなければならないとなると、あまりいい気分ではなかった。ここのところ静かに感じたのは、奴がいなかったからなのか。
「次は、イザーク王妃になったラクチェ様にお会いできるのですから、楽しみですよ」
「ええっ。ロドルバンも言うわね。でもその前に帝国を倒さなくちゃいけないんだから、大仕事よね」
 ラクチェは自分が、イザーク王妃になる実感が湧かなかった。それよりも帝国を倒すことのほうが大事だったからそう言った。
「ラクチェ様らしいですね」
 ロドルバンが目を細める。
「ロドルバン、イザークをよろしくね」
「はい」
 ラクチェはロドルバンに手を差し出した。握手をしようと思ったからだ。ロドルバンは手を服でこすってからラクチェの手を握った。次にロドルバンに会うときには、とびっきりよい知らせを持って帰ろうと、ラクチェはそう心の中で誓った。

 ラクチェはマナと十数人のお供を連れて、イード砂漠を南下していた。伝令との連絡によれば、イード神殿を陥落させたセリスの部隊と、この辺りのオアシスで合流できるはずである。スカサハやヨハンの部隊はオイフェが率いている本隊と共に、メルゲン城のほうに向かったらしい。だから、顔を合わせるのはまだ先になりそうで、ラクチェは安心していた。
 合流地点と思われるオアシスには、既にセリスたちの部隊が駐屯していた。まずは、セリスに会いに行かねば、とラクチェたちはセリスの許へと向かった。セリスの天幕まで行くと、声をかけて、中に入った。天幕の中ではセリスとユリアが仲睦まじくお茶をしていた。その光景にむっときたのは、ラクチェだけではなかった。
「セリス様、おそれながら、お茶の時間を楽しんでいる場合ではないのではないのですか?」
 マナが厳しい口調で言った。普段は控えめでおとなしいマナが、こんな風な口をセリスにきくのは珍しい。ラクチェは、もっと言ってやれ、いいぞマナと思った。
「はは。マナに怒られちゃったよ」
 しかし、セリスはにこにこと笑っている。
「シャナンが戻ってきたからね。皆、シャナンのところに行っているんだよ。だから私はユリアと二人で、寂しくお茶会をしてたんだよ」
 何をよくもまあ、ぬけぬけと。ラクチェはセリスを睨みつけた。が、当のセリスはそれを気にした風でもなく、隣のユリアだけが怯えている。
「それじゃあ私が、寂しいお茶会に参加しても、かまいませんよね?」
 ラクチェは笑顔をつくって言った。睨みつけたまま、口元だけをあげているから、多分かなりひどい顔になっているだろう。だがラナのことを思えば、腹の虫が収まらない。どんなにひどい顔になっていようが、かまわないと考えた。
「マナも一緒でいいですよね」
 ラクチェはマナを強引に、ユリアの向かいに座らせた。マナは、恐れ多いですと言っているが、ラクチェは気にしない。ラクチェも腰をどすんと下ろす。すると、ユリアが立ち上がってしまった。
 私に恐れをなして逃げるつもり? とラクチェは思った。だがユリアは単に、マナとラクチェの分のお茶を用意しただけだった。どうぞ、と丁寧にお辞儀され、ラクチェは毒気をぬかれた。だが、セリスに対しては見張っていなければと、鋭い視線をおくった。
「セリス様とユリアは何をお話しになっていたのですか?」
 静まりかえってしまっていた場を、マナが取り繕う。
「丁度、スカサハとラクチェさんのことを話していたから、びっくりしたわ」
 ユリアが胸に手を当てて言った。スカサハは呼び捨てだったがラクチェには相変わらず、さん付けだ。やはり気に食わない。スカサハを呼び捨てにするとは、いつの間にそんなに仲良くなったのだ。
「へえ、どんな話?」
 ラクチェは込み上げてくる怒りを抑えながら言った。
「お二人が幼いころはそっくりで、ラクチェさんがした悪戯の弁償をスカサハがしたという話です。ね、セリス様」
 ユリアは楽しそうに笑顔を浮かべた。
 視線をおくられたセリスは、苦笑いを浮かべる。
 この分では、ラクチェの数々の武勇伝を面白おかしく話したに違いない。ラクチェはセリスに笑顔を浮かべて
「今度、お暇があったら手合わせしましょうね」
 と言ってやった。
 セリスはそうだね、とだけ言って笑顔は崩さなかった。
「あ、あの、ラクチェ様」
 ぴりぴりとした空気が流れる中、マナがおずおずと声を出した。
「シャナン様にお会いしなくてよろしいのですか?」
「そういえば、シャナンも会いたがっていたよ」
 セリスがマナの言葉にのる。
「でも、シャナン様は今、恋人とご一緒なんじゃないですか?」
 ユリアのそのセリフに、ラクチェはびっくりした。
「こ、恋人?」
 シャナン様は、イードにバルムンクをとりに行ったのであって、決して恋人を作りに行ったわけではない。それにイードに行く前も、恋人はいなかったはずだ。ラクチェは今すぐ、シャナンに会いたくなったが、セリスとユリアを二人っきりにするのは、ラナに申し訳ない。ラクチェが内心悩んでいると、マナが私は後でシャナン様に会いに行くので、ここに残ると言ってくれた。ラクチェはありがとうという視線をマナにおくると、セリスへの挨拶もそこそこに、シャナンの許へ向かった。
 兵にシャナンの居所を訊きながら行くうち、オアシスの水辺にたどり着いた。そこには、剣を振るうシャナンが居た。
「シャナン王子!」
 逸る鼓動を感じながらシャナンを呼んだ。
 シャナンが動きを止め、ラクチェのほうを見て、笑顔を浮かべる。
「よかった……ご無事だったのですね!」
 ラクチェは嬉しくなって、シャナンに駆け寄った。
「ラクチェか、いろいろと大変だったようだな。留守をしてすまなかった」
 優しくラクチェの肩に手を置いて、シャナンが言う。
「いえ、シャナン様さえご無事なら、私は……」
「シャナンさまぁー、その子、だあれー?」
 シャナンの左腕に、綺麗な金髪を一本のおさげにした女の子が、猫撫で声を発しながら絡んでくる。
 こっちこそ、お前は誰だと訊きたい。ラクチェはむっとした。そしてシャナンの恋人とはこの女の子のことかと、察知した。シャナンがこんな子を恋人にするはずがない。ラクチェはそう思った。
「ああ、ラクチェだ」
 シャナンはそう女の子に答えた。
「あー従妹の。こんにちは! あたしはパティ。シャナン様の恋人でーす!」
 元気にパティがあいているほうの腕を上げて、自己紹介する。恋人ではないと、シャナンは訂正させたが、腕に絡みついたパティを無理に振り払おうとするつもりは、なさそうだった。パティは、シャナンに恋人ではないと言われても、めげずに、未来の恋人ですなどと言っている。シャナンは困ってはいるようだったが、そんなにいやがってはいなかった。それを目の前で見せ付けられて、ラクチェはだんだん不機嫌な気分になってきた。
 これ以上、ここにいるとシャナンに何か言ってしまいそうになったので、今日はもう休みますと言って、その場から立ち去った。シャナンが追ってこないかと、少しだけ期待したが、そんなことはなかった。
 ラクチェはあてがわれた天幕に入り、横になった。眠るにしては、まだ陽が高い。でも無理やり目を瞑った。
 パティがシャナンに戯れているような姿が、脳裏に浮かぶ。そんなことは考えたくない。と頭を振ると、セリスとユリアの仲睦まじい姿を思い出す。男って、女なら誰でもいいのかという考えが浮上する。
 こういう時、ラナがいてくれれば、愚痴を言い合ったりできるのに、と淋しくなる。でもラナはセリス様の文句は言わないだろうから、スカサハと手合わせしたほうがいいか、と思って、今は喧嘩中だからダメだと、スカサハにバツ印をつける。レスターはきっと女の子なら誰でもいいって言うに決まっていると、レスターにもバツ印をつける。デルムッドはどうだろうか。多分デルムッドはラクチェに同意してくれるだろうが、シャナンやセリスも庇うだろうから、デルムッドにもバツ印をつける。オイフェさんはどうするだろうか。オイフェはセリスの味方だし、どちらかというとラクチェは怒られてばかりだったので、そんなこと相談できないなと、オイフェにもバツ印をつける。
 ろくな男がいない。
 そこまで思って、ふいにヨハンの顔が浮かぶ。ヨハンは女なら誰でもいいなんて、思わないかもしれないな。と考えて、自分がずいぶんとヨハンを肯定的にとらえていることに驚いた。しかし、すぐにあの男とはなるべく関わり合いにならないようにしようとしている、ということを思い出したので、ヨハンのことは忘れることにした。
 

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2011.4.6
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