その理由を 10


 本隊に合流するために、じりじりと焼けつくような暑さのイード砂漠を、メルゲンに向けひたすら進んでいた。
 暑すぎるためなのか、かく汗はすぐに蒸発してしまい、服が塩でごわごわしてくる。汗を拭く必要がないのがありがたいのか、ありがたくないのか分からないが、ラクチェは黙々と歩いていた。
「ラークチェ!」
 後ろから呼び止められて、立ち止まる。声をかけてきたのは、パティだった。
「呼び捨てで、いいわよね? あたしもパティでいいから」
 ひらひらと手をふってパティが微笑む。それがラナの笑顔と重なり、既視感を覚える。
 歩きながら話しましょと、パティに促されラクチェは歩き始める。
「単刀直入に言うけど、ラクチェって、シャナン様のこと好きでしょ?」
 ぴっと指を立てパティが、核心をつく。
 ごまかすべきなのか、正直に答えるべきなのか、ラクチェが考えあぐねていると、それを肯定と取ったのか、パティが不敵に笑って
「私もシャナン様、狙ってるからヨロシクね」
 そう片目をつぶった。
 ラクチェはまだ無言でいた。シャナンに憧れている女の子は、ティルナノグでラクチェが育っていた時からたくさんいた。しかし、どの子もシャナン様にはラクチェ様が居るからと言って、シャナンを手の届かない遠い存在としていた。中には、本気でシャナンが好きだった子もいたかもしれないが、こんな風に敵対心を向けてくる子はいなかった。なので、少しびっくりした。
「ちょっと、何か返事してくれてもいいんじゃないの?」
 一言も返事をしないラクチェに、パティが怒りを含んだ物言いをする。
「えっ、うん」
 ラクチェはとりあえず頷いた。
「張り合いないなー。シャナン様、私に盗られちゃうかもしれないんですけど」
 パティは意地悪そうな笑みを浮かべる。
「シャナン様が、相手にしてくれたらの話でしょ」
 ラクチェはめんどうくさげに呟いた。
「うわっ、ムカつく。言って置くけど、シャナン様に好きな人はいません。余裕でいられるのも、今のうちよ」
 立てた人差し指を左右に振って、パティが言った。
 ムカつくのはこっちも同じだ。自分は事実を言っただけなのに、それに腹を立てられても困る。
「それは、あなたも同じよね」
 ラクチェは、きつい言い方をした。
「出発点は同じですー」
 べーっとパティが舌を出す。
「とにかく、負けないからね! 大盗賊パティちゃんに盗めぬモノはないのよ!」
 そういうと、パティは前方を歩くシャナンのところへ、走っていってしまった。
 なんなのだろう。好きな人が同じというだけで、悪意を向けられた。ラクチェは、あんな態度をとられる正当な理由を問い詰めたくなった。最初に会った時からイヤな感じがする子だとは思ったが、ここまで人を不快にする子だとは予想していなかった。笑った顔がラナに似ていると感じたことを、ラナに謝りたくなる。
 シャナンの腕をとって歩くパティの姿が、ちらちらと見えるたび、ラクチェの苛々はたまるいっぽうだった。



 オイフェ率いる解放軍の本隊が、メルゲンのフリージ軍と戦いを始めた。解放軍側は苦戦を強いられている最中にセリスたちの部隊が合流した。それが援軍となり、解放軍はフリージ軍を打ち破り、後はメルゲン城を押さえるのみとなっていた。セリス率いる解放軍はメルゲン城北の平野に陣を張っていた。
 ラクチェは自分の天幕で、剣の手入れをしていた。ラナも同じ天幕だが、今は居ない。救護班としての仕事で忙しいからだ。他にも色々とやらねばならぬことがあるようで、ゆっくり話している時間はなさそうだった。なので、ラクチェは剣の手入れが終わったら、ラナの手伝いをしようと考えていた。そうすればラナと話す時間がつくれるかもしれないからだ。
 早く剣の手入れを終わらせようとするが、なかなか集中できない。手入れは後にして、ラナの手伝いに行こうかとも考えたが、いつ敵に襲撃されるかわからない状態の中、剣の手入れを怠ったせいで何かあったら困るので、集中しようと頑張った。
「すまない、ラクチェは居るかい?」
 天幕の外から誰かが声をかけてくる。
「何? 入ってきていいわよ」
 ラクチェはあまり考えず返事した。
「おお、ラクチェ。我が愛しき人よ。君に逢えない時はまるで、シレジアの吹雪の中をひとりで飛び続ける、悲しき小鳥のようだった。しかし、今は違う。薄紅色の花々が咲き誇る喜ばしき春が訪れた。だが、その花たちもラクチェ、君の前では全て色褪せてしまうだろう。ああ、ラクチェ麗しの君よ」
 入ってきたのはヨハンだった。ヨハンは相変わらずのようだった。
「なにか用?」
 ラクチェは冷たく言った。さっさと話を聞いて、追っ払うのが得策だからだ。
 ヨハンはラクチェの真正面まで来ると、座っているラクチェと同じ目線になるように、片膝をついた。なんだろうとラクチェが顔を上げると、ヨハンと視線が合う。ヨハンは目を潤ませていた。
「どうしたのよ」
 ラクチェは驚いてそう言った。
「逢いたかった。逢えて嬉しいよ、ラクチェ」
 ヨハンは本当に嬉しそうに笑った。いつものいけすかない微笑ではなく、子どものような笑顔だった。ラクチェはそんなヨハンの顔を見るのは初めてで、胸が高鳴った。それにこんな風にまっすぐヨハンが、ものをいうのも珍しかったので、ラクチェはなんだかそっちのほうが恥ずかしくなり、顔が熱くなるのを感じた。
 しばらくそうやってヨハンの顔をみつめていた。ヨハンもラクチェの顔をみつめていた。
 ラクチェは自分の心臓の鼓動が早くなっていくのを感じていた。だが、不思議と不安はなく、やすらぎが心を支配していた。ヨハンはよくみると端正な目鼻立ちをしているなと思った。黙っていれば、女の子に人気が出そうなのに。ラクチェはそう思った。そしてレスターに、お前は黙っていればかわいいのにな、と言われたことを思い出した。なんだか面白くない。ヨハンから視線を外す。二人の間に流れていた雰囲気が変わる。ラクチェはそれがなんだか残念に思った。
「では、ラクチェ。名残は惜しいが、私はこれで失礼するよ」
 ヨハンが立ち上がる。
「何か用があったんじゃないの?」
 ラクチェは不機嫌そうに言った。自分が、ヨハンを思わず呼び止めてしまったことに気がついて、きまりが悪くなった。
「私の愛しい女神に逢いにきたのだよ」
 ふふっと声に出してヨハンが笑った。
 ただ顔を見に来たというのか、この男は。ラクチェの天幕はイザークからついてきた者たちの天幕が密集する場所のど真ん中だ。ヨハンのドズル兵との天幕からはかなり遠い。来づらくはなかったのだろうか。それとも、ラクチェがいない間にヨハンはイザーク兵と打ち解けることが出来たのだろうか。いや、そんなこと、どうでもいいことだ。ラクチェはそれを頭の隅から追い払った。
「そう。用が終わったなら、さっさと出て行ってちょうだい」
 ラクチェはヨハンから、ふいっと顔をそむけた。
 それでもヨハンは嬉しそうに笑い声を立てながら出て行った。なんだかラクチェは気に障ったが、剣の手入れに集中することで、忘れようとした。

 ラクチェは、剣の手入れがようやく終わり、ラナのところへ行こうと天幕を出た。そこでスカサハとばったり出くわしてしまった。
 スカサハとは喧嘩中だ。スカサハもきっと、ラクチェには会いたくなかったに違いない。ラクチェはスカサハを無視して、ラナのところに向かおうとした。
「ラクチェ、どこ行くんだ。作戦会議があるから、呼びにきたんだぞ」
 スカサハはラクチェの肩に手をかけた。
 ラクチェはスカサハが、まるで喧嘩したことなどなかったかのような態度を取るのが、解せなかった。
「どういうつもりなのよ」
 ラクチェはスカサハに厳しく言った。
「何が?」
 スカサハはラクチェの態度に驚いているようだった。本当に喧嘩したことなんか、忘れているのかもしれない。そう思うと苛々してくる。自分だけが一方的に怒っているだけでは喧嘩とは言えない。ラクチェだけがそういう気持ちになっているのが、気に食わなかった。
「もういい。私、ラナの手伝いするから、会議には出ないわ」
 そう吐き捨てて、ラクチェは走り去った。スカサハは追いかけても来なかったし、ラクチェに何も言葉を投げかけてこなかった。
 ラクチェが救護班の天幕に向かって、陣営を足早に歩いていると、布の山がふらふらとこちらに向かってきているのに、気がついた。あの足が隠れる長いスカートを穿いているのは、多分ラナだ。
「ラナ、大丈夫?」
 ラクチェは布の山に近づくと、声をかけた。そして上のほうのシーツやら服やらの血や泥で汚れた布を取り上げた。崩された布の山からラナが顔を出す。
「ありがとう、ラクチェ」
 ラナが助かったわと微笑んだ。
「まさか、ラナひとりでこれ洗うつもりだったの?」
 ラクチェはいきり立って言った。救護班は他にもいるだろうに、ラナにこういう仕事を押し付けたのは誰なんだと、ラクチェは怒った。
「違うのよ。私がもう魔力がなくて、杖が使えないから、勝手に洗濯でもしようと思っただけなの」
 ラナは苦笑いを浮かべた。
「それなら休んでなきゃダメじゃない」
 ラクチェはラナが心配になった。魔力を使いきるとは、そうとう疲れているはずだ。なぜ、こんな無理をするのか。
「なんだか、身体を動かしてないと、落ち着かないから」
 だから大丈夫とラナは言う。
「じゃあ、私も手伝う。それはいい?」
「ごめんね。ありがとう」
 ラクチェの申し出に、ラナは素直に頷いてくれた。
 二人は水場に向かった。水場に着くまで、ラクチェはラナに相談したいことが山ほどあって、どうきりだせばいいのか悩んで無言だった。ラナも疲れているのか、特に何も言ってこなかった。
 水場に着いた二人は、桶に水を汲み、洗濯物を洗い始めた。桶の水に汚れが滲み出ていくのをラクチェは見て、ユリアのことを思い出した。キレイな水のように溶け合っていた自分達の間に、この汚れのように水を濁らせたのはあの子だ。
「ラナはユリアとセリス様のこと、どう思ってるの?」
 ラクチェはラナをしっかりと見据えて訊ねた。
「え……」
 ラナは驚いたようにそうこぼした。そして黙りこんでしまった。
 やっぱり傷ついてるんだ。ラクチェはそう思った。辛いなら自分に相談して欲しい、そう言おうとした時、ラナが強く言った。
「私は平気よ」
「嘘、無理してる」
 ラクチェはラナが強がっていると感じられた。どうして辛いと言ってくれないのだろうか。
「無理なんかしてないわ」
 ラナはにっこり笑って言った。
 何を悠長に笑っているのだ。自分の大事な人が、どこの者ともしれない他人に盗られてしまうと言うのに。
「だって、セリス様が盗られちゃうんだよ。それでいいのラナは? 私はいやだ。ううん、私だったらそんな風に悠長に笑ってられない。ラナはおかしい」
 ラクチェは頭を振って言った。そうだ、ラナはおかしい。なんでそんな風に落ち着いていられるのか。ラクチェはラナが何も言わないので、どんどん気持ちがひとりで昂っていく。涙が溢れそうになる。それを堪えるため、ラクチェは、なにか言葉を発しようとする。
「ユリアにセリス様を盗られたくないし、パティなんかにシャナン様を盗られたくない! ラナはそう思わないの?」
 飛び出した言葉は、ラクチェの本心だった。そうだ、私たちの絆を壊されてしまう。それが嫌だった。涙が頬を伝うのを感じる。
「私は、そうは思わないわ」
 ラナに冷たく否定される。それはラクチェには拒絶に感じられた。ラクチェはいたたまれなくなって、その場から逃げ出した。後ろからラナが呼ぶ声が聞こえたが、ラナのところへ戻る気にはなれなかった。
 ラクチェは自分の天幕に帰ろうとし、そこで今日はラナと一緒の天幕だったことに思い至る。今はラナと顔を合わせる気にはならなかった。どこにも自分の行く場所はない。どうしてだろう。戦いには勝っているのに、ラクチェの手の中にあったものは、どんどんなくなっていくばかりなのだった。
 

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2014.4.5
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