ラクチェはシャナンの部隊に配置換えになっていた。シャナンと同じ戦線に立てるのは、単純に嬉しかった。強くなったところを見せようと、ラクチェは意気込んだ。
メルゲン城は主力のライザ隊を失い、城主イシュトーとその衛兵が残っているだけという状態で、解放軍がメルゲン城を制圧するのは時間の問題だった。ラクチェはシャナンの部隊でメルゲン城内にいる敵将イシュトーを探していた。
「ラクチェ、無理はするな。私が守ってやるからな」
三回目だ。ラクチェはシャナンにそう言われるのが、イヤでイヤでしょうがなかった。せっかく強くなった自分をシャナンに見てもらおうと思っていたのに、シャナンはラクチェを敵と戦わせまいと、ひたすら側で守ってくれていた。
先ほども、不意打ちに現れた敵をラクチェが応戦しようとしたら、間に無理やりシャナンが入ってきて、シャナンが怪我を負った。幸い、掠っただけの傷だったのでそのままになっているが。
「シャナン様こそ、ご自分の身体を考えて戦ってください」
シャナンの言葉にきつい台詞を返したのは、ラドネイだった。ラクチェもそれは同意だった。
「ああ、わかっている」
そう言って、シャナンはラクチェの前を歩く。
「シャナン様、私は大丈夫です。自分の身ぐらい自分でなんとかできます」
思わずラクチェはそう言ってしまった。生意気だと怒られるかもしれないと、ラクチェが思っていると
「お前はアイラの大事な子どもだ。危険な目にあわせたくない。私が必ず守ってみせる」
シャナンが必死にそう訴えてきた。ラクチェには、その姿は焦りが見えるような気がした。
「私は、きちんと覚悟をして戦場に立っています。心配しないで下さい」
ラクチェは自分の声が、かなり厳しいものになっていることに、自分でも驚いていた。だが、それが本心なのでしょうがない。いつまでも子ども扱いされるのは、我慢の限界だった。もう一人前の剣士のつもりだ。シャナンの隣に並び戦えることに憧れていたのに、こうも過保護にされる理由はなんなのだろうか。
シャナンは、ラクチェの言葉に驚いたように目を見開いたが、すぐに
「お前を大事に思っているからだ。わかってくれ、ラクチェ」
そう言って、ラクチェの頭に手をのせた。
ラクチェはそう言ってもらえるのは嬉しいが、何かが違うと思った。自分を過剰に保護しようとしてくれているシャナンに、ラクチェは以前のような思慕の念を抱けなくなっていた。
結局、イシュトーは先に突入していたスカサハの部隊がたおした。シャナンはそれをひどく悔いているらしかった。スカサハが大怪我を負ったせいだった。シャナンは、そんなスカサハに最前線に立つのをやめるように言っているらしいが、スカサハは頑として受け入れなかったようだ。二人の様子を聞いたラクチェは、お互い頑固なところがあるので、しょうがないなあと思っていた。
ラクチェはスカサハの部屋の扉をノックする。しばらくして、入っていいと、返事される。
「お見舞いに来てあげたわよ」
ラクチェはそう言って、部屋に入った。
「なんだ、ラクチェか」
スカサハが起き上がって損したとばかりに、横になる。
なんだとはなんだ。かわいい妹がお見舞いにきたんだから、もっと喜びなさいよ。と思ったが、今日はスカサハが知らないけど絶対興味を持つ話があるから、まあいいかと笑った。
「気味悪いな。何の用なんだ?」
ラクチェがにやにや笑っているのを見て、スカサハが怪訝そうに言った。
「レックス父様の若いころのはなし、聴きたくない?」
ラクチェの言葉を聞いたスカサハの表情が変わる。
やっぱり食いついてきた。ラクチェは満足して、スカサハにヨハンのじいから聞いたレックスの話を始めた。
スカサハは目を輝かせながらラクチェの話を聴いていた。
一通り話して、ラクチェは気分がものすごく良くなっていた。
「そうか。ヨハンとうまくやってるんだな」
安心した、とスカサハが言った。
「べ、別にヨハンとはなんでもないわ」
ラクチェはスカサハが誤解しているのではないかと、不安になり慌てた。
「そうなのか? ヨハンと恋人同士になるかもってラナが言ってたけど」
「なっ、こ、恋人って! ち、違うわよ!」
ラクチェは動揺した。ヨハンと恋人同士になる。考えたことが全くないと言ったら嘘になるのは確かだ。だが、それはいつも、そんなことあるわけないと、打ち消していた。
ラナもラナだ。いつの間にそんなこと、スカサハに報告しているんだ。
「スカサハは、私がヨハンのところへお嫁にいってもいいの?」
ラクチェは焦ってそんなことを言ってしまった。
「やっぱり、ヨハンが好きなのか」
スカサハが笑う。
「なんでそうなるのよ!」
私が好きなのは、シャナン様、と言いかけて、ラクチェはそれが嘘だと気付いてしまった。
先の戦いでは、ひたすらにラクチェを守ると言い、ラクチェを一人前の剣士としてシャナンは扱ってくれなかった。シャナンに認めてもらえるような剣士になるのが、ラクチェの目標のひとつでもあったというのに。シャナンもそういう風に思って、ラクチェに剣を教えてくれたのではないのだろうか。それなのに、なぜシャナンがあんな態度をとったのか、ラクチェには理解できなかった。
早く自分に追いついてこい、とシャナンは言っていた。シャナンと張り合えるくらいの剣士になれば、誰もラクチェがシャナンの嫁になるのに文句を言わないだろうと、言葉にこそしなかったが、そういう雰囲気がイザーク解放軍の戦士たちの間にはあった。ラクチェもそれに答えるべく、努力を続けてきた。
思えば、イザークの民は、ラクチェとシャナンが結婚してくれればいいと考えている人が、多かったように思う。ラクチェも周りからそんな風に言われて育ったので、自然とシャナンを好きになった。剣の師匠としても尊敬しているし、兄のような存在としても慕っている。シャナンを好きかと訊かれれば、好きだと答えられる。だが、それは恋とよべる感情ではない。恋とよべる感情と考えたところで、ヨハンの顔が浮かんできた。なぜそこでヨハンの顔が浮かぶのだと焦ったが、ラクチェの心の中で無視できないほどに、ヨハンの存在が大きくなってきていることは事実だった。
ラクチェは自分の気持ちがシャナンではなく、ヨハンに惹かれ始めているということを自覚してしまった。
それと同時に湧き上がる、帝国への恨みの気持ち。
たしかに、ヨハンに惹かれてはいるとはいえ、帝国がイザークを蹂躙した事実はなくならない。ヨハンはその帝国側だった人間なのだ。
ラクチェは自分の戦う理由を思い出していた。
帝国が憎いから戦う。
そうではないと、スカサハは言っていた。もちろん、ヨハンもそうではないのだろう。ヨハンの戦う理由をラクチェは知りたくなっていた。ヨハンをより、理解するために。そして、自分の気持ちにけじめをつけるため。
「スカサハは、私が敵になったら、私のこと、殺せる?」
ラクチェは真剣な顔をして訊ねた。
「どうしたんだ、急に」
スカサハが目を丸くする。
「もし、私がセリス様の敵になったら、どうするのって訊いてるの」
「……」
殺せるよ。
スカサハは揺らぎもせずそう言った。ラクチェは自分ならスカサハを殺すことなんて、敵として剣を向けることなんて絶対出来ない。でもスカサハは、セリスのためならできると言った。
ラクチェはスカサハの言葉に動揺していた。ヨハンも自分の父親を殺せたのは、スカサハと同じ考えだったからなのだろうか。
そんなことを考えながら、ラクチェはメルゲン城内をふらふらと歩き回っていた。
考えはなかなかまとまらない。それどころか、どんどん混乱を呼ぶ。ラクチェは仕舞いにはスカサハへ対して腹が立ってきていた。ラクチェが思索をうまくできないことを知っていて、自分で考えろなんて言うのは、意地が悪い証拠だ。これがデルムッドだったら一緒に悩んでくれたり、的確な助言をくれるのであろうに。
「おい、ラクチェ」
ふいに後ろから声をかけられ、振り向く。
「レスター」
「そんな恐ろしい形相で城の中をうろつくなよ、みんな怯えてるぞ?」
ぽんぽんと、レスターがラクチェの頭を軽く叩く。
普段なら、レスターにそんなことを言われたら、全力で食ってかかるのがラクチェだが、今は考え事のせいで、レスターに突っかかる気分ではなかった。
「どうした? なんか悩んでるのか?」
それを不思議に思ったのか、レスターはラクチェが悩むなんて、イード砂漠に雪が降るなと笑っている。それにラクチェは何も言えず黙っていた。なぜレスターは人をからかう癖に、こういう些細なことに気がつくんだろうか。
「私、何で戦ってるんだろう」
ラクチェはレスターの優しさに甘えて、ぽつりとそう言った。
「勝つためにだろ?」
なに言ってるんだよ、とレスターがラクチェの背中を叩く。
「そうじゃない。私が戦う理由がわからないの」
力なくラクチェは首を振って言った。
「え、おい、なに泣いてるんだよ、ラクチェ」
ラクチェはレスターに連れられ、城の見晴し台まで連れてこられた。ここなら、泣いても人に見られないぞと、レスターが言うので、ラクチェはせっかくなので、もうこれ以上泣くことがないように涙を流しきってしまおうと思った。
レスターは何も言わずに付き合ってくれた。
ラクチェはひとしきり泣いた後、レスターに自分が今、悩んでいることを話した。
「ふーん。スカサハはそう言ったのか。あいつらしいな」
レスターは、ははっと笑いながら言った。
「でも、私はスカサハが敵になっても殺せない。ラナやレスターやデルムッドだって。みんな、みんな敵になっても戦えないわ」
震える自分の身体を抱きしめながらラクチェは言った。
「レスターは? レスターはどう?」
ラクチェはすがるような思いでレスターを見た。
レスターは空を仰いで、黙ってしまった。ラクチェはレスターの言葉を静かに待った。小鳥が鳴き声をあげながら空を飛んでいく。それくらいの間があって
「オレは、分からない。かな」
ラクチェに視線を戻して、レスターが言った。
「わからない?」
ずいぶん悩む時間をあげたのにもかかわらず、わからないときたか。
「ちゃんと考えたの!?」
思わずラクチェは語気を荒くし、レスターの襟をつかんだ。
「その時になってみないと、分からないってことだよ。でもラナは殺せないなー。オレは」
レスターはラクチェの手をやんわりとほどきながら言った。
「じゃあ、私は殺せるの?」
それはラクチェにとっては、少し寂しいことだった。レスターはスカサハと違って、血がつながった妹を大事にしているということだからだ。それと、単純にラナだけ殺せないのは差別だと思ったからだ。
「わからないさ。その時になってみないと」
やれやれとレスターは大げさに両腕を広げた。
「ラナを殺せないのは、オレの譲れない信念みたいなものだからな」
ラクチェのせいで乱れた襟元を正してから、レスターは言った。その眼差しは、とても力強いものが宿っているように感じられた。
信念。
その言葉はラクチェに衝撃を与えた。
「ま、お前は、無い頭使って、自分で自分の納得のいく答えを出せばいいだけじゃないのか?」
笑いながらレスターが、ラクチェの頭をわしわしと撫でる。それを邪険に払いのけて、ラクチェはレスターにお礼を言って別れた。
ヨハンは自分の信念を持っていたから、自分の父を殺めることができたのだろう。スカサハが、帝国が憎いから戦っているわけではないというのも、スカサハなりの信念があるからなのだろう。それならラクチェも持っていた。帝国への復讐という名の。蹂躙されたイザークの民の無念をはらすため、帝国を滅ぼすこと。いや、帝国が憎いから戦う。それは信念と呼べるものだったのか。わからない。今のラクチェには、それが自分の戦う理由として、正しいものとは思えなくなっていた。